僕の痔瘻日記

痔瘻闘病記。悩んでいる人に少しでも勇気を

痔への歩み1~あなたにサラダ~

こんにちは。たこまんです

今日は僕の痔との出会いを書いていこうと思います。

 

20代の頃に日本に居るのが嫌になり(こう書くとかっこいいですよね)
アメリカに留学致しました。
まぁ本当は日本で通っていた大学を退学させられそうになり、
それなら自分から退学してやるわ!という若気の至りです。

このままだと高卒になってしまうので、どーにかしないと…と悩んでいたら
唯一大学の教員で仲良かった方から、向こう、飛んじゃえば?と言われました。

 

導入部分が長くなりましたが、痔瘻日記が落ち着いて、
時間が出来れば当時を振り返りこの頃の話を書くのも楽しいかなと思っています。

 

話は戻しまして、単身渡米し、一人暮らしいに憧れたのですが
言葉も何もわからないのに、こりゃ生きていけないな笑
とホームステイを選択しました。ただここから始まったと思います。

 

ホームスティ先一件目ヒスパニック系の方々。
食生活がクソ。

コンビーフと米
チキンナゲットと米
コーンの缶詰を温めてケチャップかけて米
とりあえずジャンクと米

ここで問題なのが米。めちゃくちゃしょっぱい。
作業工程を見ていると炊飯器に研いでない米と少量の水。
仕上げは一握りの塩。一つまみではなく一握りイっちゃいます。

 

あ、この人達一応日本人が来たから歩み寄ろうと米出してくれるんだな、
でも作り方わからないんだろうなぁ。よし、休みの日に僕がご飯を作ってあげよう!
そうだ、彼らお肉好きだからチキンカツとご飯にしよう!

まずい。これは米じゃない。カツにも味がない。食べたくない。

決裂致しました。お米に塩いれないよーと説明してもわかってくれません。

 

その後僕は外食を持ち帰りにし量が多いので2~3回に分けて食べていました。
気づいたら2か月以上サラダ(生野菜)食べてません。

このままだと食生活偏ってしまう、なぜ食事代も払ってるのに別途金かかるんだと
ホームスティ管理部(学内)に相談したが、この時期に空いているところは無いと
全く探してもらえませんでした。

この頃は知恵も無くキッチンも使わせてもらえなくなり、
生野菜が無性に食べたくて仕方がありませんでした。

 

仕方が無いので塩家族に滞在中、色々なコミュニティに参加し
そこで神の様な方に出会いホームステイ管理会社と同条件だが
半額で住まわせて貰えるよう交渉しました。

 

この時点で3か月食生活はボロボロです。

因みに初めての一人暮らしで料理等したことがなく、ましてや当時パンが嫌いで
サンドウィッチやハンバーガーも食べない。何を食べていこうと悩んだ結果
「タイ、韓国、ベトナム」この三カ国のローテにたどりつき、
辛みは旨味に気づきました。(ベトナムは胃を休める為)

 

書くことが多すぎて痔までたどり着きませんでした笑

ただここで辛みに出会ったのは確かです。

 

当時日本でいう辛い料理というとへなちょこでした。しょせん。。。って感じです。
コリアンタウンで食べたスンドゥブとか当時日本で出したら引かれるレベル。
タイ料理も辛さを選べるのですが、(マイルド、ミディアム、ホット、EXホット)
ホット選べませんでした。(今じゃホットが当たり前だと思います)

 

序章の序章ということで本日はここま