再び病院へ~dark hourse~
こんにちわ、たこまんです。
やっと話が現代にやっていきました。
それでは行きましょう。
痛さは全然我慢できるのですが、違和感、残便感、熱、この三つが気になり、
夜も寝ている時2~3時ころに目が覚め、色々と考えてしまい、朝まで寝れない。
こんな日が続いたので6月1日とフレッシュな数字だったので行くことを決意。
会社に行き、神妙そうな顔で、
僕:ちょっとあれがあれなもんで。。。
上司:そうか。あれがあれか。俺も苦しんだからな。行ってこい。
上司のご紹介で彼もそこで工事を受けております。
とてもとてもこの病気に関しては有名な病院で、国内は勿論の事、
海外からも患者が来る国際的な病院とうたっていますが、多分中国の方のみです。
なんでしょういつもと違うぷっくり感だったので、
もしかしたら難易度が上がってしまったのか…
もしかしたら腫瘍になってしまったのか…
等いろいろな恐怖が入り混じってもう何も考えられませんでした。
ここの病院の方針として1対1の診察ではなく患者一人に対し、何人もの医師が見る
というスタイル見たいです。
まずはfirst contact. 年配の女性です。この年配の女医が色々と厄介を持ち出します。
とても感じの良い人なんですがね。HPに乗っている紹介写真と違うのでわかりませんでした。
問診の時点で痔瘻であった、排膿も行った、見た感じ排膿の後もある、そこが腫れている。とスムーズに進んだ後最後に
これ今日切っちゃって日帰りで終わっちゃうかも、次の検査してみようか♪
んん??それは排膿の事を言っているのか?それともここは素晴らしい病院だから
根治手術も当日で終わるのか!?どういうことなんだろう
僕:せ、せんせい、当日で終わるというのはどういう事でしょう。
女性医師M:膨れているところを開いて取り出しちゃえば終わり。30分くらいかな
多分違う。この人なんか違う。触診も痛かったし爪切ってるか?不安しかない。
でもこういう時にこの病院のシステム良いですよね。
次のステップは他の先生です。
お尻から数センチしか入れないエコー検査です。
女性医師B:はい、痔瘻ですね、綺麗に立派なトンネルが出来てます。
僕:はい。痔瘻持ちで再発したと思うと女医Aに言ったので…
女性医師B:え?そうなの?これ何の検査??あ、粉瘤かと思われたってこと?
僕:え????
そうです女性医師Aが当日開いて取り出して30分くらいでおしまいと言ったのは
粉瘤の話なんです。おいおい、触診しておいて、こっちは痔瘻の再発の
可能性大って話をしてるのに、今更なんじゃい怒
女性医師B:はい、なので今日排膿手術しちゃいましょうね。
じゃないと次進めませんからね。
でた。本日一日で終わるなんてダークホースは来ないわ。浮かれさせやがって
もう排膿手術なんて慣れっこです。
でも久しぶりなのでちょっと緊張です。
ただこちらの病院を選んでよかった。出会いがございます
待つこと30分処置室へ。
さっと脱ぎお尻出して横になり体育座り状態へ
男性医師W:お、慣れてるね~初めてじゃないんだ。痛かったら言ってね。
はい麻酔打つよ~痛いからね~はいもう一本強いね~
痛い事してるんだよ?良いんだよ?声だして、痛いんだから。
声出しちゃおうよ!
僕:オフゥ
男性医師A:どう感じる?麻酔効いてきた来たかな?今ねすっごく痛い事してるの。
感じないでしょ?麻酔効いてる証拠だね!さーいこうか!
いや、どんなテンション!痛い事って何!?すごく痛い事って切るより痛いの!?
こんな変なやり取りのおかげで一瞬で終わり楽になりました。
先生に感謝を告げ先生が、痛みに強い?声出さなかったね。と言われたので
いや、僕ビビりなんで…多分今回は根治手術を視野入れています。
それ考えるともう怖くて…
男性医師W:え?何言ってるの?時間も15分~30分で終わるし
今回より痛くないよ?下半身麻酔だもん。今日の方が痛いわ笑
今でもこの言葉のおかげで踏み切れたと思います。
後日回診の時にこの先生にこの話をし感謝を伝えたら
僕そんなこと言ったっけ?そっか、よかったね♪
と言っていただけました汗
結果オーライですが、以前排膿した時は切り口にガーゼを詰め排膿しやすいように
してくれており何時間か刺さったままで、翌日もしくは二日後来てくれと言われました
こちらの場合はあてがうだけで、一週間後。大丈夫かな?数ミリ切っただけだから
閉じてしまわないかな?と不安のまま帰宅
再発~blank space~
こんにちわ たこまんです。
連投もうしわけ
あれから8年経ちました。
色々ありました。
色々あった事を書きます。
排膿して2年後位にまた膿が溜まり、痔瘻友達から
あんなの切って膿出しちゃえば痛くないし、それで良いんだよ♪
俺?もう3回くらい切って今5年くらいなんともないぜ♪
身近に完治?してる人いるじゃん!希望すてちゃダメじゃん!俺もこれだ!
この甘い誘惑に誘われ膿を出しては逃げ、挙句の果てには自分で膿を出す
荒業迄獲得し過ごしていました。
大体わかるようになりました。熱を持ち始めぷっくりしてくるころを狙って
早めにバチコーン。膿と血を出せば落ち着く、念のため市販の塗り薬で消毒。
大量のお酒飲んだ後や辛い物を大量に食べたりと、お腹を壊した数日にやってくる
サイクルを見つけました。
もう自己処理プロになっていましたよ。
あ、これ久々のやっかいなヤツだな、出し切るのに2~3日かかるな
強めにバチコーン強行突破だな
こういう時は大体風邪のふりしてゆるい内科笑に行き抗生物質を頂く。
今思えば抗生物質って色々あるんでしょ?何に聞くとか。わからんけど。
もう無理やりだよね。
嫁さんにも
また~?いっつもそれだね、いつまで続けるの??と
分ってるよ…多分…完治は無いわ…
子供も生まれ仕事も変え営業から管理部たまに営業という形に。
家も購入し家族幸せにというときに。
なんか今までに経験のないぷっくり感。
普段は表面の方がぷっくりするので力を込めてバチコーンするとピュッと出る
が、しかし、今回のふくらみはどうも奥の方。しかも熱を持っている。
久々の大物だぜ、腕が鳴るぜ!と訳の分からん高揚感。
がしかしなにをやっても無理。奥の手で痔瘻なのはわかってるので
薬を塗った指を挿入。奥から消毒作戦。ダメ。
もー何をやってもダメ。痛くて気になって眠れない。
も、もしや…しゅ、腫瘍化!?なんかしこりの様に感じるぞ?
こーなったらもう恐怖。
ネットで調べたらそりゃーもう恐ろしい事恐ろしい事。
まぁこの恐ろしい事が書かれているのも大切かもしれませんね。
このおかげで病院に再々訪問する決意が出来ました。
時は2020年5月。いぼ痔から始まり22年。ピリオドを打つ時が来たか。
もう覚悟決めるしかないな。一人じゃ戦えない。
そうだ。病院へ行こう
大腸内視鏡検査~nice for what~
こんにちは たこまんです。
なかなか入院生活まで話が進まず、退院の日が決まってしまった為ペースを上げます。
大腸内視鏡検査(1回目)受けました。
ビビりの僕はお尻の穴からメートルあるぼっこを突っ込むだなんて、
どんな痛みんだ?腸は柔らかく薄い、まれに突き破る!?
おいおい出会って間もない人に任せられるのか?
どこぞの有名な大学病院に行った方が良いのか!?
のちのち何度も言うと思いますが、本当ネットの情報は恐怖をあおる。
といいつつ、僕も情報発信しているので鵜呑みにはしないでください。
まず今回は病院も自転車で行ける距離の場所で受ける事にしたので
下準備は家でする事に致しました。
検査前日夕食後に下剤を飲み、そこから一切固形物NG。
口にしてよいのは水のみ。
翌日は朝からポカリスエット(しょっぱさ濃いめ)みたいな飲み物を
2リットル近く、ゆっくりと時間をかけて飲む。
もよおしたら出すの繰り返し。
10回ちかく往復すると固形物がほぼ無く薄く黄色味を帯びた水になる。
これで完了
この時点で病院に直行。
病院につくと最終チェックをされOKを頂けると心休まる薄暗い暗室に。
横になり、心地よい音楽を聴きながら点滴開始。
ここからはぼ~~~っとしてるので会話はもちろん出来るのですが、
おぼろげ。これがまた心地よい。
始めますよ~はい~綺麗だね~あ、小さなポリープあるね、取って検査しとくね。
※事前にポリープが見つかった場合取り病理検査を行うか否かのサインをする。
はい終わりましたよ~まだぼ~っとするから少し休んでね。
全く痛くも怖くもありませんでした。
途中おなかの中で突っつかれたような感覚があるが押されているくらいの感じ。
なんでしょうね、大掛かりな準備や、機械、体の中に異物が入る
この様に思うと自然と怖く感じます。そもそも病院という場所が怖く感じる。
クローン病の検査結果はすぐに出て、問題ない。では…
根治手術受けますか?
あ・・・問題はここだった。
場所も場所なので10日間くらい入院します。
なので今すぐにとかは無理だろうし、ここ一か月ですごく悪化してどうこうなる
わけではない。
ただし、ごくまれに痔瘻は痔瘻ガンになる事もある。(写真で説明)
またアリの巣と一緒で一方向だけではなく、まれに違う方にもトンネルを作り出し
何方向にも分かれたり、奥や上の方に進んだ場合厄介になる。
ここですよ。リスクヘッジなのはわかります。でもね、
病院さんって必要以上に怖がらせない??
まぁモンペが増えてきたから後々突っ込まれるた時に
いいましたよね?
の一言を言えるようにしておきたいのはわかります。
かという僕も営業の時言うだけ言っとけ、じゃないと相手のせいに出来ない。
取り合えず怖さはわかりました。
ガンと聞いて怖くないはずがありません。
欲を言えば根治を受けなかった人の何%の人がガンになったかの
統計を出してもらいたい
と伝えたところ
何のために?あなたがその数%に入らないって確証あるの?
ごもっともでございます…
即答は出来ませんので一度持ち帰らせてください、と帰路へ。
やっかいな痔瘻~double face~
こんにちは。たこまんです。
傷の痛みも全くなくなり、意気揚々と消毒を受けに行こうと病院に行きました。
たこまんさん、先日もお話致しましたが、これで終わりではないんです。
むしろはじまりなのです。この後の流れを説明いたしますね。
まず痔瘻というのは自然に治る確率は0ではありませんが、ほぼ無いと
お考え下さい。まず初めに大腸内視鏡検査を受けて頂きます。
なぜかというとクローン病からくる痔瘻の場合根治手術しても意味がない為
検査を受ける必要があります。来週で良いかな?早いうちが…
ちょ、ちょっと待ってください、早いです。何言ってるかさっぱりわからないし
この前の手術で終わったんじゃないんですか!?
これ痔瘻あるあるだと思います。
全く知識無くいきなり切りましょうとか言われ、淡々と進みいきなり横ばいで
お尻むき出しで肛門の周り麻酔打たれ切られ切り口にガーゼ突っ込まれるなんて
大仕事された後に冷静に今後の流れ、ましてやこの前言いましたけど、って
次回来た時に詳しく説明しますって言ったとか、いやまてよ?これで終わりでは無い
くらいは言ってたか?…
ようは混乱状態です。
そうだったんでね~痔瘻の怖いところはいぼ痔さんみたいに切り取っておしまい、
切れ痔さんみたいに縫って処置しておしまいではないんですね~
溜まった膿を切って吐き出させ、炎症が落ち着いたところで出来たトンネル、穴を
閉じるなり、抉り取るなり、切り開くなりしないと無くならないのですね。
ようやく冷静さを取り戻し、とりあえず大腸内視鏡を受ける事に決めました。
まずはそこからだと。
痔瘻は突然に~戦えサラリーマン~
こんにちは。たこまんです。
いぼ痔と出会って15年、サラリーマン生活も9年が経つ頃それはやっていきました。
当時の僕は営業をしており、お客様はもちろん、会社の仲間と飲む事、大学の仲間や
彼女と飲む事がストレス発散でした。
それなりに会社生活もうまく行き、楽しく過ごせていたと思います。
悪いことは重なるんでしょうね。
大きな仕事で珍しくトラブルが起き、まぁ何とかなるだろうと
たまには仲間を信用して任せないとそいつも伸びないと偉そうに思い
途中経過の報告だけを受けており、開けてみたらびっくり玉手箱状態。
パートナー企業がやらかしてました。
何とか取り返すことは出来たのですが、上司からネチネチ攻撃。
あ、当時の上司は部下の失敗のケツを拭いてくれる人だと聞いていたので
勿論頼らせて頂きました。確かに拭いてくれました?拭いてくれたのかな?
ミスったパートナー企業に苦言を呈して頂いたのですが、まーそこから
お前のせいで仕事がやりづらくなった。
あ、また私からパートナーに言わなきゃダメ? etc
大分ストレスもたまり、お腹も弱くなり、夜中目が覚める事があるなど体調不良のなか
健康診断がありました。色々と血液の問題、尿の問題を指摘されました。
少し経ち何かケツに違和感を感じる。どうもケツが痛い。
触ってみると膨れている様な、熱を持っている様な。
薬局に行き、痔の薬を購入。アメリカ時代を思い出せ。俺は一人で治せる。
自分で自分を鼓舞しながら2~3週間。どんどん腫れが酷くなる。
夜も寝れない。座れない。15年前の痛さとも違う。こりゃだめだ。
そんな時に1年に1度行われる全国会議。
多分一日中座ってなんて居られない
会議の為客先とのアポも無いので病院に行くチャンスだと思い相談。
サラリーマンは上り詰めるためには客への営業より社内営業だ!とほざく。
知るかバカ。どうせここで成り上がるつもりは無い。それよりも俺のケツだと
強行突破。多分この上司は所詮大したこと無いと思っていたのでしょう。
まぁ確かに痔どろうし僕もそう思う
初日朝から診察に行き、うまく行けば午後から参加と甘い考え
触れてみるとぽっこり出ていたので、いぼ痔かな?また薬で何とかなるだろう
と軽い感じでいました。でもぽっこり出ているところが15年前と違うんです。
こういう時って良い方に良い方に勝手に考えがちなんですが、深層には恐怖がいます。
病院を調べるにあたりキーワードとして「やさしい」「親切」を主に探しました。
評判通り物腰の柔らかいいつも笑顔で優しい先生でした。病院も看護師も綺麗。
こんなきれいな看護師さんの前で下半身露出するなんて…とちょっと変な気分に
なりながら横ばいになりケツオープン。人に指を突っ込まれるの初めてなので
「オウゥッ」と言ってしまいました。
あーこれは痔瘻だね(え?痔瘻??な、なにそれ)
これはね放っておけないんだよね(う、うん…痛いもんね)
今日時間ある?このまま手術しちゃおうか(はい??)
前にも言いましたが僕はチキンです。
僕の夢は❝死ぬまで手術を受けない。自然死を迎える❞です。
簡単に夢は途絶えました。
手術ってそんなに簡単に受けれるんですか?入院は?会社休むの!?
排膿手術といい、肛門の横に膿が溜まっているからそれを切って出してあげれば
直ぐに楽になるよ♪と相変わらず優しい口調。
本当に痛くて痛くてたまらなかったので心を決め受けることに。
待ち時間の間に彼女に電話をし永遠と泣き言を言って過ごす。
いざ手術。
肛門の周りに局所麻酔を3~4本ほど。最初の一本は「アウッ」とまたなったけど
その後はメス入れられた感じはあるけど痛くない。膿を出し切るため傷口は縫わず
ガーゼを押し込められ終了。あっという間。
行う前は恐怖が凄かったがやってみると大したこと無い。
三日後に様子見るからまた来てね、と。
術後は痛くもなく。翌日は会議に参加。
でも大したこと無いと思われるのも癪に障るので
「昨日切ったもんで、ハイ、余裕っす、アチ ちょっとお尻浮かせながら聞きます アチ」
とところどころ痛み演技を入れ
こいつ、辛いのに良く出てきたな、えらいぞと思わせる作戦。
ただこの時は「もう終わった。速攻痛み取れるじゃんチョー余裕」と
再診日に訪れる恐怖を知る由もなかった…
痔への歩み2~はじまりはいつも雨~
こんにちは、たこまんです。
朝の戦争を済ませてきました。
この話は追々と…
昨日は痔までたどり着けず申し訳ございません。
本日は❝痔❞が出ますよ。
一つ目の塩分過多ファミリーを出て下手すりゃ偽善か!?と疑うような
全てに愛をという家庭にやって来ました。
語弊があるかもしれませんが今でもその家族は大好きですい、愛を持っています。
多分変わらず愛を与えてくれていると思っています。色々しましたが…
この話も追々と...
さぁ新しい生活がスタート。
庭にはキャンピングーもあり、卓球台もあり、ジャグジーもあり
申し分ございません。
食生活はというと夜に
コーンドッグ(アメリカンドッグ)とサラダ
時々トンカツ
時々ジャンキー
え?マジ?夜にコーンドッグとサラダ!?おやつじゃないの??
という印象がしか覚えていません。
あとはArby'sというローストビーフをバンズで挟んだものやタコベル。
要するにうちのママはご飯を作りません。昼に忙しいからです。
その代わり、キッチンは使い放題だし、一緒に住んでいる他の学生の残り物を
頂いたりと自由は自由なので前より全然良いです。
部屋も快適。自分の娘が使っていた部屋を開放してくれて好き放題使いなさいと
快適な生活が続いていました。
あの日が来るまでは…
うちのママはどうもイケメン好きな傾向がございます。
娘の元カレやどうもイケメンを好む傾向が見られます。
かという私はイケメンでは無いため、キャラで愛される道を選び生きてきました。
ある程度は可愛がられますが、イケメン+キャラを持つ人が現れたら
たまったもんじゃありません。
ママのキャラを紹介したところで、その問題とは、同級生で一番仲の良い子が
住んでいる家庭環境問題に悩み始めました。
うちにもいろいろと相談に来ていました。ママのお気に入りです。
そうです。イケメンなのです!また一本気で良い奴なので弟の様に思い入れが
今でもございます。
ふとママがうちに来れば?という話をしました。
このイケメンくんは僕にも気を使い相談に来ましたが、
この時は僕にとってのマイナスは日本語を話す環境が出来ちゃうなくらいです。
ただ渡米したばかりでチキンな僕は逆にうれしく思いOKしてしまいました。
でも考えてみると…うちに部屋ってまだあったか!?どこに住むんだ??
地下にも既に人が住んでいるし。
も、もしかしてキャンピングカー!?
そうです。かわいそうなのは僕でした。
色々と諸事情もあり、先に住んでいた僕が出される事になりました。
まぁ離れに住むというのは昔から憧れていたし、涼しいし快適じゃん!
ほぼパーティーハウスじゃん♪と思っていたのは暖かい時まで。
今思えば自分の考えの甘さに嫌気がさします…
僕が住んでいた場所はアメリカでも北の方で夏は素晴らしいのですが、
冬は寒さに厳しく雨の日もアメリカで一番多い街です。
この頃は車も持ち夜も友人と食べに行ったりと好き勝手してました。
特に辛い物が好きになり、韓国、タイは食べまくっていました。
一つ説明いたしますとキャンピングカーなのですが、トラックの後ろにつけ
牽引するタイプなのでがっちりしておらず、単に座るところと寝床がある程度です。
寒いんです。
冬は布団だけじゃとても寝られず、寝袋で寝ていました。
寒けりゃリビングで寝なとも言っていただけたのですが、
一人で暗いところ(女性同伴は除く)じゃないと眠られないという気質な為
頑なにキャンピングカーで寝ていました。
その日も雨でした。
震えながらキャンピングカーで寝ているとき尻に違和感が。
途方もない今までに経験した事の無い違和感が。
速攻寝袋から出てうんこ座りをし陰部を確認してみると…
小指第一関節ほどのヤツがひょっこりこんにちわ
この異国の地で何の知識も無く、ましては異物が出てきた経験もなく
いぼ痔なんて知識も無い。漠然に尻が痛い=痔とうところまでたどり着き
ママにHemorrhoidsになった!やばい!手術か!?
と伝えましたが、このHemorrhoids、発音わかんねーw
もう辞書見せるしかない!と。
痔の薬が欲しいとメモを書いてもらい即薬局へ。
飛び出たオリーブちゃんに塗り自力で中に押し入れること2週間
ようやく落ち着きを見せました。
その後は時々辛い物を食べると顔を見せる位で、
いつしか彼の存在を忘れるように。
これが僕と痔のファーストコンタクトです。
もちろん痔瘻という言葉はまだ知る由もありませんでした。
落ち着いたと思っていたこいつとまさかまた出会うとは…
痔への歩み1~あなたにサラダ~
こんにちは。たこまんです
今日は僕の痔との出会いを書いていこうと思います。
20代の頃に日本に居るのが嫌になり(こう書くとかっこいいですよね)
アメリカに留学致しました。
まぁ本当は日本で通っていた大学を退学させられそうになり、
それなら自分から退学してやるわ!という若気の至りです。
このままだと高卒になってしまうので、どーにかしないと…と悩んでいたら
唯一大学の教員で仲良かった方から、向こう、飛んじゃえば?と言われました。
導入部分が長くなりましたが、痔瘻日記が落ち着いて、
時間が出来れば当時を振り返りこの頃の話を書くのも楽しいかなと思っています。
話は戻しまして、単身渡米し、一人暮らしいに憧れたのですが
言葉も何もわからないのに、こりゃ生きていけないな笑
とホームステイを選択しました。ただここから始まったと思います。
ホームスティ先一件目ヒスパニック系の方々。
食生活がクソ。
コンビーフと米
チキンナゲットと米
コーンの缶詰を温めてケチャップかけて米
とりあえずジャンクと米
ここで問題なのが米。めちゃくちゃしょっぱい。
作業工程を見ていると炊飯器に研いでない米と少量の水。
仕上げは一握りの塩。一つまみではなく一握りイっちゃいます。
あ、この人達一応日本人が来たから歩み寄ろうと米出してくれるんだな、
でも作り方わからないんだろうなぁ。よし、休みの日に僕がご飯を作ってあげよう!
そうだ、彼らお肉好きだからチキンカツとご飯にしよう!
まずい。これは米じゃない。カツにも味がない。食べたくない。
決裂致しました。お米に塩いれないよーと説明してもわかってくれません。
その後僕は外食を持ち帰りにし量が多いので2~3回に分けて食べていました。
気づいたら2か月以上サラダ(生野菜)食べてません。
このままだと食生活偏ってしまう、なぜ食事代も払ってるのに別途金かかるんだと
ホームスティ管理部(学内)に相談したが、この時期に空いているところは無いと
全く探してもらえませんでした。
この頃は知恵も無くキッチンも使わせてもらえなくなり、
生野菜が無性に食べたくて仕方がありませんでした。
仕方が無いので塩家族に滞在中、色々なコミュニティに参加し
そこで神の様な方に出会いホームステイ管理会社と同条件だが
半額で住まわせて貰えるよう交渉しました。
この時点で3か月食生活はボロボロです。
因みに初めての一人暮らしで料理等したことがなく、ましてや当時パンが嫌いで
サンドウィッチやハンバーガーも食べない。何を食べていこうと悩んだ結果
「タイ、韓国、ベトナム」この三カ国のローテにたどりつき、
辛みは旨味に気づきました。(ベトナムは胃を休める為)
書くことが多すぎて痔までたどり着きませんでした笑
ただここで辛みに出会ったのは確かです。
当時日本でいう辛い料理というとへなちょこでした。しょせん。。。って感じです。
コリアンタウンで食べたスンドゥブとか当時日本で出したら引かれるレベル。
タイ料理も辛さを選べるのですが、(マイルド、ミディアム、ホット、EXホット)
ホット選べませんでした。(今じゃホットが当たり前だと思います)
序章の序章ということで本日はここま